育てられる人のところに障害児は生まれるって本当?

もしマロンくんが、我が家を選んで

生まれてきたとしたら、

マロンくんは、貧乏くじを引いたとしか

言いようがありません。

経済的にも、精神的にも

下の上ですからね(汗)

踏んだり蹴ったりです。

育てられる人のところに

生まれると言うのは

勝手な解釈です

でも、障害児を産んだ母親への

エールだと受け止めています

障害児を育てていくと言うことは

健常児を育てる以上に

体力は必要だし

困りごともたくさん起こります

多動性をもつマロンくんは

ショッピングセンターに行けば

ちょっと目を離した隙に

目の前から消えることが

何度もありました

それほど遠くへは行っていないだろう

なんて高を括れば

予想をはるかに超えて

エレベーターに乗って

違う階にいたこともありました

本人は迷子になっているなんて

これっぽっちも思っていないので

刺激を求めて

好き勝手に動き回っています

母親の気持ちなんて

知る由もありません

迷子のお知らせをしたところで

自分が呼ばれているなんて

思うわけはありません

店員さんにお願いして

こんな服装の子供を見かけたら

私を呼んでください

とお願いして捜索したのは

一度や二度ではありません

幸い、いつも

店の外には出ていないため

なんとか見つけだすことが

できていましたが

探している時の胸中は

最悪なことばかりが頭をよぎるのです

災害救助犬のような嗅覚が

自分にあったらいいなと

普通のお母さんが欲しがらないものまで

欲しくなるのです

そう言う経験から

違う視点で物事を考えたり

想像するようになる

と言うことは

あるかもしれません

以前の私は

自分よりできない人のことを

見下していたところがありました

なんでそんなこと

分からないの?

そんな簡単なことに

そんな時間がかかるなんて!!

と自分の物差しでしか

判断することしかしてきませんでした

でも、実際に障害児を育てていると

いつも周りの子より

できないことが多く

真ん中だったら上出来!

といった具合ですから

人と比べることがバカらしくなります

そして

ほんの少しの成長が

とても大きな成長のように感じます

以前の私からしてみたら

そんなことで喜ぶなんて

おめでたい人

と思われたに違いありません

今の私は

母子手帳の発達の目安が

ほとんど ”いいえ” であっても

一般的な評価は気にしなくなりました

大体、1年〜2年遅れくらいで

できることが増えてきているので

このまま成長してくれたらと

大らかな気持ちで考えています

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